戦後、昭和20年代、創立当時の東北急送の歩み

「運送業は3年で潰れる」という法則

戦後、昭和20年代は、「運送業は3年で潰れる」という法則がありました。

その理由は、経費の見通しが甘い経営者が多かったためです。

当時、運送会社の経費は以下のようになるのが通例でした。

仮に車代を500万円として分割払いにした場合、1年目は、その分割代と、ドライバーの人件費です。

しかし、2年目は、その額に修理代が上乗せされます。

そして、3年目は、その額に2倍の修理代が上乗せされます。

その3年目の修理代が2倍に跳ね上がる所で、多くの運送会社が潰れていきました。

修理代を浮かせる苦肉の策

戦後間もない頃は、当然、今のように整備士としての働き手もおりませんでした。

そこで、何とか修理代を浮かせるために苦肉の策を思いつきました。

それは、私自身で整備するということです。

当時は、買ったばかりのスーツを着ていることも忘れて、車の下に潜り、背中にグリスをつけ、ダメにしたこともありました。

創立当初は、修理を私自身が率先してやることで、修理代を浮かせて経営を軌道に乗せました。

昭和53年、1978年時、移転時

そして、昭和53年、1978年、現在の所在地、仙台市宮城野区に移転した際、真っ先にしたことは、整備場を作ることでした。

そのような歴史を踏んで現在に至っております。

会社沿革 【 東北急送 株式会社 】
昭和27年 4月宮城県 多賀城市にて創立
昭和49年 8月東北急送 株式会社 設立
昭和53年 5月現在の所在地(宮城県仙台市宮城野区)に移転
※第1倉庫 開設
平成 7年 7月京北運輸 株式会社 設立
平成23年 3月東日本大震災に被災
平成24年 3月第2倉庫・第3倉庫 開設 ( 宮城県仙台市宮城野区岡田新浜浦通東 )
平成28年 2月鉄板部門 開設 ( 宮城県仙台市宮城野区蒲生屋倉17-2 )
東北急送 3箇所の位置関係
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